鳥取で生まれ、明治・大正・昭和の時代を前に進んで強く生きた
碧川(みどりかわ)かたの生涯
碧川かたは、明治のはじめに鳥取で生まれた一人の女性です。養父母の勧める結婚。時代の家父長制度には逆らえず、子どもを残しての離縁、その胸を裂かれる辛い思いをバネにして自立の道を進みます。当時の職業婦人として看護婦を選びます。再婚相手の新聞記者碧川企救男(きくお)と新しい自分たちの家庭を築き、大切な子供たちを守ります。
最初の結婚での長男(三木露風)は、母への思いを歌に残します。
われ七つ 因幡に去ぬのおん母を 又かえりくる人と思いし
母恋いの露風はのちに全国的に愛される「赤とんぼ」の詩を作ります。
かたは、五人の子どもを産み、子育てにまい進します。
ようやく子育てから手が離れる頃、新聞記者の夫企救男は、女性も男性も平等にしていることなどヨーロッパの社会情勢を手紙で知らせてきました。
まず、禁酒運動から始めました。その結果、一九二二(大正一二)年、未成年者飲酒禁止法がようやく成立しました。
しかし、どんなに頑張っても参政権を持たないのでは女性の意見が通らない現実。
そこで奮起して、参政権運動を始めます。一九二三(大正一三)年二月に結成された、最初の婦人参政権獲得運動団体である「婦人参政同盟」に、高橋千代らと参画、かたは五二歳です。かたは、すべての女性の「権利」と「平等」を訴えていきました。戦後、女性たちが参政権を獲得したのは、かたたちの活動があったからです。
明治・大正・昭和の時代を前に進んで強く生きた碧川かたの生涯を、すべての女性に、いや男性にもお贈りします。
(はじめにより)
▼CONTENTS
はじめに
第一章 . かたの出生
第二章 . 掘正一家 高知へ行く
第三章 . 三木節次郎と結婚
第四章 . 東京へ
第五章. 北海道 小樽
第六章 . 禁酒運動から婦人参政権獲得運動へ
第七章 . 戦後、頼みは市川房枝に
第八章 . 企救男とかたの子どもたち
第九章 . 碧川かたに関する先行文献
碧川かた年表
あとがき